無意識を鍛える

心理学でいうところの無意識がどういう定義なのか自分はよくわかりません。調べる気もありません。すいません。ここでいう無意識とは自分が意識していない瞬間の意識というか、なんだかわかりづらいですが、今日一日のことを思い返してみて、なんでここでこうしたのかよくわからないというようなときの行動。そんなときはきっと無意識に支配されていたんじゃないかという意味での無意識。そういう前提で書きます。

今日、茶月でお寿司を3人前買ったんですが、そのとき自分は「このお寿司を3つください」と言いました。それで、すぐにはお寿司を受け取れなかったので待っている間、そういえばさっき「3つ」って言ったなあと思いました。自分はなんで「3つ」って言ったんでしょうね。なんとなく子供っぽい言い回しだったので気になりました。こういうときに「3人前」と言うにはどうすればいいんでしょうか。買い物をするとき、常に意識して「3人前」と言うことはできますが、自分が言ってるのは不意にお寿司の数を問われたとき、とっさに「3人前」と言えるようになる方法です。

なんとなく、なんとなくですが、答えはスポーツなどの反復練習にあるのではないかと思います。膨大な回数、例えば1日に1万回くらい「3人前」と言っていれば、とっさのときも「3人前」と言えると期待できるのではないでしょうか。同様にシャツの裏表や、左右の区別なども短期的にであれ、ものすごい数をこなせば、いざ試合になったときも無意識にちゃんとした判断を下せるかもしれません。むしろそういった練習をせずに、さらりと裏表や左右の区別をする人たちは、ただ単に才能に恵まれているだけではないかという気がします。才能のある人たちは、それが当たり前にできるということが、どれだけ恵まれているかということを知りません。裏表や左右の区別ができないからといって、その分野での成功をあきらめている人たち。自分も含め、そういった人たちにはまだ努力の余地があります。当たり前のことがちゃんとできないからこそ、誰よりもうまく当たり前のことができるようになる可能性があるということです。だって、あきらめたらそこで試合終了ですよ。